生道(せいどう)を生きる
生道(せいどう)とは、生かす道である。
心は生道なり。(近思録)
「生かす」とは、そのものがそのものの持てるものを発揮するということである。
「そのもの」は、常に可能態としてある。
「私」もそうである。
「他人(ひと)」もそうである。
自然のあらゆるものがそうであると考えることもできる。
あらゆるものを生かそうとするのは、天の道である。
そして、その天の道が人にも具わっており、人が天の道を具現化する働きをもっているとの考え方がある。
「心は生道なり」とは、「ものを生かそうとする道を備えたのが人間本来の姿だ」と解することができる。
自分が自分を生かすべく生きる。自分が他を生かすべく生きる。
そして、そこにおいて、自分というものへのこだわりがなければ、そこに自他の区別がない、ものを生かす生き方がある。
本来的生き方とはそういうものだ。
そして、それは、死ぬまで在るのだ。
心は生道なり。(近思録)
「生かす」とは、そのものがそのものの持てるものを発揮するということである。
「そのもの」は、常に可能態としてある。
「私」もそうである。
「他人(ひと)」もそうである。
自然のあらゆるものがそうであると考えることもできる。
あらゆるものを生かそうとするのは、天の道である。
そして、その天の道が人にも具わっており、人が天の道を具現化する働きをもっているとの考え方がある。
「心は生道なり」とは、「ものを生かそうとする道を備えたのが人間本来の姿だ」と解することができる。
自分が自分を生かすべく生きる。自分が他を生かすべく生きる。
そして、そこにおいて、自分というものへのこだわりがなければ、そこに自他の区別がない、ものを生かす生き方がある。
本来的生き方とはそういうものだ。
そして、それは、死ぬまで在るのだ。