人としての私
私を人たらしめるのは、私のみである。
人間は、畜生のようにもなる。
畜生どころか、畜生にも劣るほどの行いもする。
しかし、それも、私しだいなのです。
今の社会は、弱くなりました。
そして、やさしくもなりました。
また、自己を出させるようになり、出すようになりました。
しかし、やさしさをもって育てているのは自己というよりも自我であり、出させるのは自己というよりも自我なのです。
強くなるのは自我であり、そのことにより他と切れてしまう自分になってゆくのです。
そして、強くなったように思いながらも、一人ひとりの私を弱くしてゆくのです。
人とはそういうものではありません。本来的な私とはそういうものではないのです。
人間は、畜生のようにもなる。
畜生どころか、畜生にも劣るほどの行いもする。
しかし、それも、私しだいなのです。
今の社会は、弱くなりました。
そして、やさしくもなりました。
また、自己を出させるようになり、出すようになりました。
しかし、やさしさをもって育てているのは自己というよりも自我であり、出させるのは自己というよりも自我なのです。
強くなるのは自我であり、そのことにより他と切れてしまう自分になってゆくのです。
そして、強くなったように思いながらも、一人ひとりの私を弱くしてゆくのです。
人とはそういうものではありません。本来的な私とはそういうものではないのです。