大いなるものと私

人は神によって創られたものではなく、何方(いずかた)からか来て何方かに去るもの、来るところも去るところもまさに「何方」であって限定されていない。しかも去来せしめる運動も何物かによってなされる運動ではない。まさに、来たり去る宇宙の運動それ自体において、人間は今ここに実存するのである。(相良亨)
「不知(しらず)、生まれ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」(方丈記


大いなるものを特定する必要はありません。
また、それは特定すべくもないものなのです。

であるがゆえに、まさにそれは、大いなるものなのです。
それは私たちにとって、素直に、そのままでよいのです。

大いなるものを知りつつ、大いなるものに抱かれながら、なおかつ、「わたくし」というものを生きねばなりません。

恐れ慎みながら、創造のうちにあって、なおかつ創造するものとして生きるのです。