告知の話

告知について。

ここで言う告知は、末期癌などで余命いくばくもないというような場合の告知のこと。

現にそういう事態でもないので、現にそういう事態にある人からは、厳しい言葉を浴びるかもしれないが、私は次のように考えている。

末期癌で余命いくばくもないというなら、必ず教えてほしい。
私は、私の人生を、私が生きている。
もし、神というものがいて、その者が私の人生の終わりの時期を知っているというなら、それはそれでその者にゆだねようではないか。
しかし、私の人生の終わりの時期を、私以外の者が知っていて、私が知らないなんて、私は許さない!

(これは、あくまで私の場合のこと。まだまだ「若い」ような気もするなあ。)

日本人の私たちは、見取る者も見取られる者も、あいまいなまま死を受け入れているのではないか、とも思えます。それもまた、よい形なのかもしれません。