真心・真私を失う

自分を見失うという言葉は、頻繁ではないが、日々の生活の中でも聞くことがある。

しかし、その見失いは、日常の自分を見失っていることをいっているに過ぎない。

ここでいうのは、自身の根本の見失いだ。それは、多くの人が、ともすると日常的に失っていたり、失っていることすら気がつかない、あるいはあることすら気がつかないで疑うような、まさに霊妙な自身の根本だ。

人は、自分が飼っているネコや犬がいなくなると懸命に捜すものだが、自身の根本を失っていても(見失っていても)、それを血眼になって捜そうとはしない。そればかりか、そうしている者を笑いさえするのだ。

仁は人の心なり。義は人の路なり。その路を舎てて由らず。その心を放して求むることを知らず。哀しいかな。人鶏犬(けんけん)の放すること有れば、則ち之を求むることを知る。放心有りて、求むることを知らず。(孟子・告子上篇)