束の間の喜びではなくて

自然を物としてより以上に見ることの出来ないのは俗人のかなしさである。時に芸術的陶酔に欺かれて、この域を超える様に思うことがあっても、多くは束の間の喜びである。ただ自らの含徳の秘鍵を以て自然の奥底に永遠なる人格的意義を把握し得るは真の高士のことである。(安岡正篤『日本精神の研究』)

どっぷりと世間の中に在っては、なかなかできないこと、叶わないこと、たいへん難しいことと思えます。しかし、「どっぷりと」でなければ、これに近づくことはできるでしょう。「俗人のかなしさ」とは、そういうことなのかもしれません。
世間の中に在っても、ゆったりと生きられていれば、それなりの道を歩めるのでしょう。

しかし、「俗人のかなしさ」にはさらなる意味がありそうです。それは、貫くべきものをもって貫いて生きぬ学びの貧弱さ、学びを生かせぬ貧弱さをいうのかもしれません。その意味では、どっぷりと世間の中に在っても、必ずやできると言うのかもしれません。