本当の「知る」ということ

真正の知は、

知識によって得られるというよりも、

感情の陶冶存養によって得られる
(岡田武彦『陽明学つれづれ草』)

本物の「知」というものは自身の血肉になっているものです。

「これだ」、などと言えるものではありません。

生きるなかで得て、養われた、その「知」は、自身の感情抜きにはないでしょう。

「心の豊かさ」と「知」は、別々のものではないのでしょう。

それ故に、本物の「知」は、自らの生、その生身を通して生まれ、養われるのです。