人と、わいせつさ
ワイセツということについて、谷川俊太郎さんはこんな詩を書いている。
どんなエロ映画も
愛しあう夫婦ほどワイセツにはなり得ない
愛が人間のものならば
ワイセツもまた人間のものだ
ロレンスが ミラーが ロダンが
ピカソが 歌麿が 万葉の歌人たちが
ワイセツを恐れたことがあったろうか
映画がワイセツなのではない
私たちがもともとワイセツなのだ
あたたかく やさしく たくましく
そしてこんなにみにくく 恥ずかしい
私たちはワイセツだ
夜毎日毎ワイセツだ
何はなくともワイセツだ
私たちは、たぶん、みんな、ワイセツさと崇高さを持っている。
人生で肝心なのは、どちらかに偏ってしまわないことだろう。
どちらに偏っても、究極では、生から遠ざかって行かなければならない。
生きているというのは、崇高さとワイセツさの間をうろうろすることだ。
時間ということでみても、あまり長い時間、どちらかに偏っても、うまくないだろう。
残念ながら、人間とはそういうものらしい。
どんなエロ映画も
愛しあう夫婦ほどワイセツにはなり得ない
愛が人間のものならば
ワイセツもまた人間のものだ
ロレンスが ミラーが ロダンが
ピカソが 歌麿が 万葉の歌人たちが
ワイセツを恐れたことがあったろうか
映画がワイセツなのではない
私たちがもともとワイセツなのだ
あたたかく やさしく たくましく
そしてこんなにみにくく 恥ずかしい
私たちはワイセツだ
夜毎日毎ワイセツだ
何はなくともワイセツだ
私たちは、たぶん、みんな、ワイセツさと崇高さを持っている。
人生で肝心なのは、どちらかに偏ってしまわないことだろう。
どちらに偏っても、究極では、生から遠ざかって行かなければならない。
生きているというのは、崇高さとワイセツさの間をうろうろすることだ。
時間ということでみても、あまり長い時間、どちらかに偏っても、うまくないだろう。
残念ながら、人間とはそういうものらしい。