失敗と人生

失敗ならいくらでもある。成功というのは少ない。人生などというものは、失敗の連続なのだ。いくらでも失敗するがいい。それが積もり積もって成功にならないとも限らない。もっとも、失敗とか成功とかいうことは、はっきりしないものだ。そんな事があるかどうかも、よく解らない。・・・人生全体の建築の上でいうと、何が成功で何が失敗であるかは、よく解らないものだ。
 人生が失敗であったとか、成功であったとかいうことにどんな意味があるのかとも言ってみたい。死んでしまえば万事終わりで、人はその一生を、何とかして過ごしてきたというだけのことなのだ。誰も大した生き方はしていない。失敗も成功もないような気がする。話は、生きている間のことなのである。その間に、思い通りに事が運ぶか運ばないかだが、さてそれが成功というのか失敗というのか、いよいよ大詰めに来ても、はっきりは解らない。結局は、失敗成功という評点は、非常に世俗的なものだということになる。
 そうなると、失敗の方は、割合によく覚えている。成功の方は、あたりまえだという考えがある。そういうこともあろう。とかく失敗の方が無数にあるものだ。だいたいは、失敗しながら、どうにか年月の階段を上って、それから下ってゆくのが人生ではないか。
福原麟太郎『人生十二の知恵』)

自身がまさにいのちを終えようとするとき、
私の人生は失敗だったとか成功だったとかと考えるだろうか。

いのちの灯が消えようとしているときに、そんな軽薄な評価的思考をするだろうか。

そんな小さな了見のうちに、この生命を生きているわけではないし、生かされているわけではない。