悩みからは逃げられない

人は、変化すべく生きている。
 
否、生きているものは、変化すべく生きている。
なぜなら、生きているとはそういうものだからだ。
 
こうも言えるかもしれない。
 
あらゆるものは、変化のうちにある。
 
人は、それを知るものである。 特に、己のそういう状況を知るものである。
 
おかしな表現だが、意識しようがしまいが、それを知るのである。
知ろうが知るまいが、それを知るのである。
 
変化が自身に、あるいは自身の内にあることを、知るのである。
 
変化する自分。変化せざるを得なくされる自分。変化せざるを得ない自分。
 
苦悩はそこに生まれてくる。
 
我々は、変化せざるを得ない自分というところから、逃れることはできないのである。
 
苦悩は、その逃れることができないというところからも生まれてくる。
 
であるから、生きているが故に苦悩するともいうのである。
 
悩み多き人生ともいうのである。
そして、また、それを苦悩するのである。
 
苦悩するをわずらわしく思うなら、これは成長の苦悩だと思うがよい。
成長のための苦悩だと思うがよい。
 
しかし、瑣末(さまつ)なことに自分が囚われては、同じところでずっと足踏みしているようなことになる。
そういうことには気をつける。
成長もおぼつかない、前にも進まないという状況に、自分がはまってしまうからだ。
そういうときには、ほんの少し、自身を離れて見ると、同じところで足踏みばかりしている自分は、いかにも滑稽に見えるはずである。
 
悩むのも、苦悩するのも、そこに変化しようとする働きがあるからそうなるのだ。
 
その働きから、自身は逃れられないのだ。
 
どうせ変化の故の悩みなら、成長のためのそれでありたいではないか。