他人の目を気にすることと私欲

有名になりたいか?と問うても、大抵の者は首を横に振る。

ところがそういう人も、他者の目を、しっかり気にして生きている。

他者の目を気にするというのは、他者による自分への評価を気にしているのである。

簡単に言えば、あの人はいい、という評価を気にしているのである。

もう少し言えば、あの人はよくない、と思われることを恐れているのである。

これらは表裏一体で、出所は一つである。

人から評価を得たい、さらには多くの人から評価を得たいと、これが高じれば、名を知られたい、有名になりたいということになり、これも出所は同じである。

名が知られたいというのにも、少し屈折したのもあり、悪いことをしてでも知られたい、という者もある。しかし、これも出所は同じである。

自身を生きる基準が、自身にあるのではなく、自身以外の、外にあるのである。

他者から注目されたい、なかでもほめられたい、賞賛されたい、承認されたいという欲は、本当に根が深い。

老いて、何をいまさらと思うような者でも、そういう欲に動かされている者もある。

私欲というのは、自身を生きるというに、まさに恐ろしいものと考えなければならない。



名を求めるとは、名を好むことでもあり、人からの評価を得ようとすることである。人にほめられ喜び、人に批判されて苦悩することである。(cf.吉田和男『現代に甦る陽明学』)