私利私欲の私

私利私欲に囚われて生きていては、どこまでも、いつまでも満足や安心を得られることはない。
 
それは、幸せが足元にあることに気づかず、追いかけてばかりいる姿に似ている。
 
心のもち方しだいといえば、それまでなのだが、それでは正しくない。
 
それを正しくいえば、「私」次第なのだ。
 
「私」の囚われなのだ。
 
「私」が何に動かされているかなのだ。
 
 
心の本体的念慮でない場合は、それは私念であって、問題にならない。(伝習録・陳九川所録)