今を

「私」というものは、過去と未来の間にある現在を生きていると確かにいえるのだが、

「私」が一層良く生きるのは、過去も無く、未来も無い、今というその時々を生きるときだ。

そこには、過去を悔いる心もなく、未来を案ずる心もない。



「過去とは文字通り、過ぎ去ってもはや無く、未来とは未だ来たらざるもの」なのである。(cf.吉田公平『陽明学が問いかけるもの』)