道徳の所在

幼いうちは、道徳が外にあって、外から導くように接するのでよいが、そこそこの年齢になると、自身の内面から来るものとして教え、自らもそのように学べるようになるのが一層正しいように思う。

道徳が自身の外にあるとするよりは、自身の内にあると自身で認められる方がより成長した人間と言えるだろう。

そういう意味では、経済生活水準の底上げが、我々の周りで間違いなく進展してきているとしても、人間は堕落してきている。


道徳は自己の外に分離したものとして存し、自己を圧迫するものではなく、自己の内面的必然により創造されつづくものであって、それは自己成長に他ならないものである。(cf.安岡正篤王陽明研究』)