矛盾を収める
すべからく大矛盾に耐え、これをやわらげて収めるだけの度量を持たなくてはならない。(下村澄『人間の倫理』)
生きているというのは、常に矛盾のなかにあるといってもよい。
平生は、さほど意識もせずにその矛盾のなかにあるが、時として大きな矛盾に苦悩する。
しかし、考えてみれば、常に大なり小なりの矛盾のうちにあるのが生だ。
「私」を矛盾によって拡散することなく、また、「私」を見失うことなく、大きな矛盾に遭遇する時にこそ「私」を大切に生きなければならない。
やわらげて収めるというのは、簡単に言えば、右往左往せず、矛盾の中を歩むということだ。
また、「私」を小さくしては、収めるだけの度量を持つことにならない。
そのためには、時として、「私」を大きくし、なおかつ「私」の統一を失わず、歩むということだ。
生きているというのは、常に矛盾のなかにあるといってもよい。
平生は、さほど意識もせずにその矛盾のなかにあるが、時として大きな矛盾に苦悩する。
しかし、考えてみれば、常に大なり小なりの矛盾のうちにあるのが生だ。
「私」を矛盾によって拡散することなく、また、「私」を見失うことなく、大きな矛盾に遭遇する時にこそ「私」を大切に生きなければならない。
やわらげて収めるというのは、簡単に言えば、右往左往せず、矛盾の中を歩むということだ。
また、「私」を小さくしては、収めるだけの度量を持つことにならない。
そのためには、時として、「私」を大きくし、なおかつ「私」の統一を失わず、歩むということだ。