本能と私

私たちは、本能という言葉で(野生)動物的な衝動やエネルギー、(それを人間的に言った場合の)食物摂取の欲求や性欲のような原初的欲求を思い描きますが、それはどちらかといえばヨーロッパ的(欧米的)な考え方なのでしょうね。

私たち東洋人、日本人としては、むしろ自然のなかの生命体、有機体が有する、ある方向性をもったエネルギーというものを考えた方が良いと思えるのです。

そうすると、それらは「私」と対立や敵対するものではなく、すでに私にあり、且つあるものとして、受け入れたり、大切にしたり、付き合ったり、対応したりするものになっていきます。

そうなると、「本能」という言葉そのものも、「私」というものには不適切になってくるのです。