語る

ローマ時代の政治家であり哲学者でもあったキケロという人が言っているそうです。

彼らは他人に向かって語ることを学んだ。しかし己に向かって語ることを学ばなかった。
(cf.安岡正篤『活眼活学』)

キケロがこの言葉を通してなにを語ろうとしたか、正確には存じません。しかし、いろいろと考えさせられる言葉です。

雄弁家であり、政治家であったキケロのことです。内実がないのに語ることばかりがうまいことを諌めたのかもしれません。誠実と真実のない、しかし他人(ひと)を信じ込ませるような語りを諌めたのかもしれません。
あるいはまた、主張する術(すべ)ばかりを身につけて自己を顧みない人間を諌める、こうした理解も現代にわれわれの身の回りにいる人のなかには、必要とする人がいます。

知識が勝ちすぎて現実理解が十分できていない人にも当てはまる諌めともなります。
こうしたことは、誰しも若い時にはありがちですが、30歳近くにもなってこれではいけません。
また、理想的なこと、一時しのぎの対処療法的な話ばかりして、聴衆の心をひきつけようとする者は、信頼がおけません。

自分という者の人生を考えてみても、
他人に向かって語ることばかりを学び、実際、他人(ひと)に語ることばかり上手いようでは、よい人生は送れません。
また、己に向かって語ることばかりを学び、実際にそのようなことばかりをしていても、よい人生は送れません。

語る「私」が、より確かな「私」になっていくこと、その私によって他者に、また己に語られること、そのことによって「私」がさらに高められること、そういう「私」や「私の在りよう」、「生き方」がなによりも大切であることを知らねばなりません。