心と最高善

至善は外界からの手を求めない。内部から培われ、それ自体から出でて全きものである。


安岡正篤氏は、これをセネカの教えと書いている。

これは、私が私を生きるところから生じてくる。これは、私を主体として生きるところから、自ずと生じてくる生き方であり、体認されるものである。

外に知識を求めることに慣れてしまうと、これを理解することすら難しいだろうし、容認しがたいものになるだろう。