心を満たす

自分を満足させるのは結構大変なことだ、と言えば、誰もが「そうだ」と言うでしょう。

なぜなら、
自分の欲を満足させようと、いくら頑張っても、満たされたと思うのもつかの間で、
やはり心治まらず、
また、さらなる欲求を満たそうといそしむことになったりするからです。

このことは、誰もが知っています。

欲は尽きないのだ、と人は言います。

しかし、それはまるで、欲の湧き上がる井戸から、一所懸命に欲を汲み上げる作業に自らが励んでいるようにも見えます。

安心を得ようとして、励むのですが、その作業はとどまることがないのです。
汲み上げるという作業に慣れ親しんだ人は、エネルギーの尽きるまで、大方のいのちが尽きるまで、その作業を続けるのでしょう。


おもしろいことに、自分が満たされた気持ちになるというのは、時にいともたやすく起こってきたりもいたします。

それは、本当の自分に成れていると、自分で自分を感じられた時です。

もちろんこれも一時的なのですが、刹那的な、後にどこかむなしい快ではありません。

それは、自分というものではありますが、とても広がりをもった自分を感じ、しかもそれを不安がることもなく、穏やかで、静かで、それでいて満ちていて、自分に自信のようなものも感じられる、満たされた思いなのです。

自分を満足させるには、我欲を満たすこととは異なる別の方向もあることを知っているのは、大切なことです。

また、満たされない思いが本当はどこから来ているかを知ることも、とても大切なことです。