良い話に感服しても

人の話に感服して、あるいは書かれたものに感服して、一生懸命にそれらの言葉、その人の言うことに耳目を集中させて、こころを従わせて生きようとするのは、私が私を生きようとしているのではないでしょう。

それは、私が誰かに従って生きようとしたり、誰かの言葉に従って生きようとしているのです。

生きるというのは、私が私を生きているにちがいないのに、それは、私を主にして生きようとしていない、ということではないでしょうか。

もともと私のこころのうちにあるよいものに、誰かが言った言葉が触れたのです。

誰かが言った言葉やその誰かに関心をはらうのではなく、触れた自分のこころに関心をはらうべきでしょう。

よい言葉に感応した自分のこころのよいものに、一生懸命に関心をはらいながら生きるならば、私の外にあるものを信じたり求めたりする生き方ではない生き方をするようになるでしょう。

それは、まさに、私が私を生きる生き方ではないでしょうか。