人生、頼む者は自分自身

人格を磨き上げようとする者は、頼む者は自分自身であると覚悟しなければならない。
(言志耋録17より)

実は、この文の頭は、

「学に志す士は」だ。

それで、川上正光さんは、「学問に志して」をまず入れて、その後「人格を磨き上げようとする者は」と続けて、訳文としている。

しかし、現代の「学」あるいは「学問」を、人格を磨き上げるためのものと理解するのは既に難しい。

そこで、最初に書いたとおりの方が、しっくりくると思ったのだ。もちろん、訳文としては正しくないのだが。



如何に生きるべきか(あるいは、死ぬべきか)と問う人がある。

これも人格を磨こうとする一つの姿(機会)と言っていい。

この場合だって同じことで、

頼む者は自分自身であると覚悟しなければならない。