人間のもつ性質
「大いなる私」というものは、もともと完全円満であろうとする性質をもっているんです。
また、一方で、完全円満になろうとする性質も合わせもっているのです。
前者の方は、今という時点でのことですし、後者の方は向かおうとする今より先ことです。
でも、二つとも今という時点で、今という時点に働いているのです。
それは、今が円満であろうとする働きと、もっと完全になろうとする働きです。
それらは、区別しようとすればするほと矛盾するものになるでしょうし、相対立するものになっていきます。
それらはともに私に内在する力と言いますし、わたしに働いている力とも言います、私を動かしている力とも言います。
それは、静であろうとする性質でもあるし、動であろうとする性質でもあります。
安定していようとする性質であるとともに、不安定さを求める性質でもあります。
未熟とか成熟とかという言葉も使われますが、それは、人間が価値観を持ち込んでのことなのでしょう。
あらゆるものに、そうした性質があると考えることができますが、そう考えますと、万物の性質ということにもなります。
そして、この万物の性質が、私に働いているというわけです。
そしてそれは、万物一体に働いているとか、万物一体として働いているとかということにもなるのです。
そこに、私というものがいるのです。
常に矛盾しながらも、
私が私として生きているとか、私が私として生きよう(死のう)としているとか、私はそう生きているとかというのも、
そこに本来的な性質が働いているということであって、
私という範囲でみた生(生死)のことなのでしょう。
また、一方で、完全円満になろうとする性質も合わせもっているのです。
前者の方は、今という時点でのことですし、後者の方は向かおうとする今より先ことです。
でも、二つとも今という時点で、今という時点に働いているのです。
それは、今が円満であろうとする働きと、もっと完全になろうとする働きです。
それらは、区別しようとすればするほと矛盾するものになるでしょうし、相対立するものになっていきます。
それらはともに私に内在する力と言いますし、わたしに働いている力とも言います、私を動かしている力とも言います。
それは、静であろうとする性質でもあるし、動であろうとする性質でもあります。
安定していようとする性質であるとともに、不安定さを求める性質でもあります。
未熟とか成熟とかという言葉も使われますが、それは、人間が価値観を持ち込んでのことなのでしょう。
あらゆるものに、そうした性質があると考えることができますが、そう考えますと、万物の性質ということにもなります。
そして、この万物の性質が、私に働いているというわけです。
そしてそれは、万物一体に働いているとか、万物一体として働いているとかということにもなるのです。
そこに、私というものがいるのです。
常に矛盾しながらも、
私が私として生きているとか、私が私として生きよう(死のう)としているとか、私はそう生きているとかというのも、
そこに本来的な性質が働いているということであって、
私という範囲でみた生(生死)のことなのでしょう。