ほめられたい

褒められたい!

そういう気持ちをなくすことは、人にはなかなかできないことなのかもしれない。

褒められたいというのは、認められたいという気持ちとつながっているように思うんだよね。

そうすると、どの人にもそれが見えてくる。

豚もおだてりゃ木に登る、なんて言葉もあるけど、

登りきるかどうかはともかく、登ろうとする人がでてくることは実際あることだしね。

表彰されて喜ぶというのも、認められてうれしいということになるだろう。

親に褒められる、先生に褒められる、上司に褒められる、同僚に褒められる、世間の人に褒められる、村長、市長、県知事、大臣、総理大臣、天皇陛下に褒められる、ノーベル賞をもらう・・・、近所のおじちゃん、おばちゃんに褒められる・・・などなど。

褒められる、認められる、評価される。

そうすると、たいてい、人は喜ぶものだ。

人からの評価を喜ばなければ、そっぽを向かれたりすることだってある。

人が生きることと褒められたいとか評価されたいとかという欲求は、切っても切れないくらい、自分から引き離しがたい欲求なのかもしれない。

たいていの人間は、死に向かうことになるまでは、そうした欲求を捨て去ることはできないのだろうなあ。

で、それでなにが悪いかっていうと、

別に、それでもいいのだけど、

「私」というものが本当に求めているものからそれたりもするから、それはあまりよくないかもしれないんだよね。