身を立て、名を上げ・・・

07年3月9日続編
(なぜ、この時期に再度この話が、なんてことにはお構いなしに・・・思いついたので書いておこう。。)

仰げば尊しの歌詞、「身を立て、名をあげ、やよはげめよ」、
これを、単純に「立身出世のために励め」と考えている人がいる。

仰げば尊しの歌詞を貫いているテーマは、恩であり、それに報いるべく生きよ、ということである。

しかし、
「身を立て、名をあげ、やよはげめよ」を立身出世を煽ることであると解釈する軽薄な教師もいて、
まさにそうした教師の軽薄さが教育の行き届かなさを生じせしめ、
さらに軽薄な人間を創り出しているである。
(そして、そこからまた教師が生まれていく。)

「身を立て、名を上げ、やよはげめよ」を、立身出世だとするのは、
文脈からというよりも、部分的な字句を捉えて理解する児童レベルの解釈である。
まことしやかに、自らが清い人間であるかのごとく、その歌詞を批判し、
うなずく子供を見て満足げにしている教師がいるとしたら、まことにもって情けないことである。

理解力の乏しい子供のなかには、その純真さゆえに教師の言葉にそのまま納得したりする者もいるだろう。
そして、そうした子供のうなずきが、こうした教師の軽薄さを強化していることだろう。

教師の軽薄さは、まことに罪作りである。


仰げば尊しのテーマに戻ろう。


人の恩には、感謝すべきである。

ましてや、親の恩に感謝する気持ちがなくてどうする。
仰げば尊し」で歌わせているものは、教師の恩、親の恩、人の恩に報いる者として、
社会や人々に知られ、尊敬される人間になるべく、しっかり生きなさいということなのだ。

それを、学び舎から出て行く子らに歌わさせているのである。



因みに、恩とは慈しみである。慈しみとは愛のことである。