他力の縁

人智の及ばない他力の縁の実在


実在という以上は、それが現実にあるということなのだけれど、縁の実在は客観的事実としても、それが他力という何がしかの力の働きか偶然かの判断については、客観的に証拠付けることはできない。

人は若いときには、縁という言葉は使わない。
縁ということが、そもそもわからないのだ。

人生の年月を経ていくと、この言葉を使う者も増えてくる。
自身と何らかのことや人との出会いの繰り返しのなかに、縁を感じ取るのだろう。


他力という力をもたらす存在があるかどうかはわからないが、そう考えた方が、心が安らぐというのは、人にとって、事実としてあることだ。

それを拒む必要は、ないはずなのだが・・・。