情に飢えてるのかな?(どうだろ、ミヒャエル・エンデさん!)

ラジオから、現代人は情に飢えている、とかいう話が聞こえてきた。

確かにそうだと思う。

子供も、若者も、大人も、お年よりも、みんな情の薄い人間関係で暮らしているような気がする。

そこで、考えてしまうのだけれど、

なぜ、今の僕たちは情が薄い関係になっているんだろう。
人間関係で情が薄くなって、何が濃くなっているんだろう。

ひとつの結論なんだけど、
今の僕たちの人間関係っていうのは、利害による関係が濃くなっているって、思ったんだ。

つまり・・・、
何かをしてもらうために、何かをしてあげる、とか、
何かをするのは、何かをもらうため、とか、
この方にいるのは、得をするからだ、とか、
こんなことをしてくれるのは、他から何かを得てるからだ、とか、
これだけのことをするなら、それなりのものはもらはないと、とか、ね。

こんな感じで、
利害による関係が、人間の関係のいたるところに忍び込んできてて、浸透してきてて、浸潤してきてて、それでもって、情の関係が希薄になっているんじゃないかって、そう思ったんだ。

エンデのモモの話のことは前に書いたことがあるけど、
あれでは、灰色の男が時間泥棒をやっていて、みんなたいへんなことになっちゃったんだ。

そうだなあ、
ここでの泥棒は、
いってみれば情泥棒だなあ。

それは黄色い男たちってイメージなんだけど、
そういうやつが、時間泥棒の後にやってきて、
僕らの間の情をこっそり奪っていくんだよ。

たぶん、たいていのみんなは、
引き換えに情が奪われていくってことに気がつかないで、
こんな情の薄い人間関係をつくってきたんだ!

情が、隣り近所の関係で希薄になってきたことは、みんな知っているし、
職場のなかにだってけっこうあったと思うんだけど、
それだって、今じゃあほんとに珍しいくらいになってしまってるし、
学校の先生と生徒の関係にだって、もう相当、この泥棒たちの動きが入ってきていると思うね。

家族や夫婦のなかにはどうだろう。
家族や夫婦のなかからも情が希薄になってくるなんてことがあれば、もうこれはとても恐ろしいことに違いないよ。

もう、それらしい、怪しい事件が起き始めているじゃないか!

ひょっとすると、これから数年間にわたって退職していく団塊の世代の多くの人たちのなかに、この情の関係の希薄さの問題に気づく人がいて、
この人たちが少しでも回復しようと動き出してくれたりするだろうか。

それとも、まさにこの人たちが負の遺産としてつくってしまったかのようになって、そのまま気づかずに、残る人生でもこの種の泥棒たちを作り続けるのだろうか。

情の希薄な今の社会で、
いつの間にか、多くの人が情に飢えるようになってしまっていて、
それで、
僕たちは、こんなふうに、
少し不確かな世界で、
不確かな情の関係を求めようとしているんだろうか。