温暖化はうれしい(って、考えたりして?)
今日は、けっこう暖かい。
冬だというのに、とっても心地よいのだ。
ということで、ちょっと考えてみた。
こうした心地よさを、仮に地球温暖化のせいとして考えたらどうだろう。
「心地よい・・・良いではないか」と、これを喜ぶ者もいることは、・・・ありうる。
そこで、ひねくれものの私めは、ちょっとばかし考える。
地球温暖化を喜ぶような国があったらどうしよう、なんてね。
私たちは、温暖な地に生活しているので、地球温暖化を当然、悪化と考えるのだけれど、
寒冷な地にある国は、よい変化と受けとめる場合だってあるかもしれない。
国土の狭い国では、海面上昇で、国そのものの存亡の危機もある。
しかし、大きな国土を持つ国は、海面上昇による変化を「多少」と受け止めるかもしれない。
寒冷な地で、多くの農産物を生産できないような国は、農産物の増産が見込まれると考えるかもしれない。
長い冬を過ごす国の人々は、気温の上昇を過ごしやすさと喜ぶかもしれない。
ある人々にとっては、環境問題でも、ある人々の近視眼的利害の視点からは、環境問題と言い切らないという場合だってあるかもしれないのだ。
ある国では、切羽詰った問題として取り上げるけれど、ある国では、何とかしなければいけませんね、くらいで終わっちゃたりしてね。
環境破壊による環境問題であるには違いないはずなのだが、国際関係となると、やはり利害の観点からの動きはあるだろうね。
このあたりは、恵まれた環境にある人たちが、自分の世界からだけで見ていたのでは、わかりにくいかも知れない。
だって、露骨に、「うちの国は地球温暖化で、むしろ良い面が多いから、いいもんね」なんて、どこの国も言うわけないのだからね。
人間は、幅広い視野を持たなければ、いけない。
また、人間の関係も国際関係も、利害というもので、いろいろな事象が起こるということも、知らなければならない。
特に、日本人は、「利害による人間の関係」なんて、好きでないみたいだから、
こういう考え方を(理解するというよりも)受け入れられるかどうかは・・・ちょっと・・・ね。
冬だというのに、とっても心地よいのだ。
ということで、ちょっと考えてみた。
こうした心地よさを、仮に地球温暖化のせいとして考えたらどうだろう。
「心地よい・・・良いではないか」と、これを喜ぶ者もいることは、・・・ありうる。
そこで、ひねくれものの私めは、ちょっとばかし考える。
地球温暖化を喜ぶような国があったらどうしよう、なんてね。
私たちは、温暖な地に生活しているので、地球温暖化を当然、悪化と考えるのだけれど、
寒冷な地にある国は、よい変化と受けとめる場合だってあるかもしれない。
国土の狭い国では、海面上昇で、国そのものの存亡の危機もある。
しかし、大きな国土を持つ国は、海面上昇による変化を「多少」と受け止めるかもしれない。
寒冷な地で、多くの農産物を生産できないような国は、農産物の増産が見込まれると考えるかもしれない。
長い冬を過ごす国の人々は、気温の上昇を過ごしやすさと喜ぶかもしれない。
ある人々にとっては、環境問題でも、ある人々の近視眼的利害の視点からは、環境問題と言い切らないという場合だってあるかもしれないのだ。
ある国では、切羽詰った問題として取り上げるけれど、ある国では、何とかしなければいけませんね、くらいで終わっちゃたりしてね。
環境破壊による環境問題であるには違いないはずなのだが、国際関係となると、やはり利害の観点からの動きはあるだろうね。
このあたりは、恵まれた環境にある人たちが、自分の世界からだけで見ていたのでは、わかりにくいかも知れない。
だって、露骨に、「うちの国は地球温暖化で、むしろ良い面が多いから、いいもんね」なんて、どこの国も言うわけないのだからね。
人間は、幅広い視野を持たなければ、いけない。
また、人間の関係も国際関係も、利害というもので、いろいろな事象が起こるということも、知らなければならない。
特に、日本人は、「利害による人間の関係」なんて、好きでないみたいだから、
こういう考え方を(理解するというよりも)受け入れられるかどうかは・・・ちょっと・・・ね。