素直に生きる

人間、素直に生きるのは、たやすいことではない。

それは、誰しもが頷くことだろう。

素直に生きるのが難しいと、我々が、往々に考えるのは、

他者との関係や社会関係、あるいは自分と関わるあらゆるものとの関係において、自分を貫くことが難しかったり、
それらとの関係のなかで、その関係故に不本意と思うことをしなければならなかったりすることがあるからだ。

しかし、人は、常に関係のなかで生きている以上、自分を貫けないことがあるのは当然のことだ。
自分を貫いて生きようと考えるのことに、そもそも無理があるのだ。

それは、人が母の胎内からこの世に生まれ出た、そのときからそうなのだ。

自身を貫いては生きられないというのは、何も人に限ったことではない。
あらゆるものが関係のなかに存在している以上、それは、人ばかりのことではないのだ。

しかし、それでもなお、人は誰しも、素直に生きたいと思う。
また、人は素直に生きるべきだと言われる。
そして、そう願う。

これは、自然な思いだ。

我々は、思い違いをしてはいけない。
素直に生きるというのを、外との関係であったり、対他ととしての関係でばかり、考えてしまってはいけない。

素直に生きるとは、あくまで自身のことなのだ。常に、自身内のことなのだ。

それは、私が私に対してということであってもよい。
しかし、本来は、内も外もなく、私として、ということなのだ。

そこに、為しうる素直な生の生き方があるのだ。

素直な生き方には、定まった答も生き方もない。


人の生くるや直(なお)し
之れ罔(な)くして生くるや、幸いにして免(まぬか)るるなり
論語、雍也篇)

素直に生きずして、うまくやれているというのは、偶然に難を免れているに過ぎない。