出世と命

出世が果たしてどれ程求むべきことであるか。出世が万事か、真(まこと)に貴ぶべきことは何処にあるか。世人は之(これ)を考えないで無暗に出世しようと焦(あせ)る。その出世は人の肉感に誇示する自己の享楽に過ぎない。そういう出世の為の妄動妄作が人間から自主性を奪って、万事に奴隷の如く卑屈狡猾ならしめる。運命は天が人の妄動に向って下す牢獄であり、墓穴である。運命には物相飯(もつそうめし)はあるが、自由は無い。命に安んずることはこの鉄柵を取り払うことに他ならない。(物相飯=かつて牢獄で与えられた盛り切り飯)
安岡正篤『日本精神の研究』)
 
出世は喜ばしいことである。
しかし、出世にも、出世出世と出世を目指して得た出世もあれば、自ずと出世した出世もある。そこに自らの生き方と生かし方がある。
命は自身の内にある。