職業の社会的価値の考え方

職業に貴賎はない、と言う。

これは、職業に貴いも卑しいもない、ということだが、これが素直におわかりになる人はたいへん結構なことだ。

しかし、現実の生活のなかにあっては、なかなか承服しにくいという人もあろう。

あっさりと承服できる人は、現実生活から少々距離をおいて生活できる恵まれた人かもしれない。あるいは少し幼い人かもしれない。

そういえば、職業に貴賎なしと、今も学校で教えるのだろうか。
学年などにもよるだろうが、そうしたとき、子どもたちはどのような反応をし、承認あるいは反論をするのだろうか。

反論する子などは、なかなか見所があるかもしれない。

なぜなら、表面的な教えを鵜呑みにするのでなく、あるいは、さほど考えることもなくあっさりと教えを受け取るのでなく、この社会の現実と照らし合わせて、真実を見ようとする目がそこにあるからだ。

どの職業も、この社会にあって、なくては誰かが困るものであろう。
その意味では、どの職業も大事な仕事を受け持っているのである。

しかし、職業には別のこともある。その視点からはあらゆる職業が等価であるとは言えない。

職業には高い知識・技術を要するものがある。また、社会的に大きな責任を担う職業もある。

こういうことは、世間の者は頭ではなく、大抵心で知っている。

たとえば、社会的に大きな責任を担う職業にある者が、不正、不謹慎なことをすれば、多くの者がそれを非難し、また、落胆するのである。

このように社会的責任の大きなものから、それほどでもないものまで、職業の重要さの違いはさまざまにあるのである。それは、職業に貴賎なしというのとは、また別のものとしてある。

若い時に、このようなことを考え、知るのは大切なことだ。

それは、自身の将来の仕事や生き方、社会の中でいかなる生き方をするかを考える時に役立つだろう。

また、社会にとっても、責任ある仕事に就く者はそれなりの職業的生き方が求められるということを
人に知らしむるために必要なことなのだ。