2009-06-09 生の見えている部分 人生 #哲学 欲というのは、私が生まれてからできるものです。 その私というのは、小我と言ってもいいし、自我と言ってもいいでしょう。 それ以前の私のところ、そこをだいじにするのがよいのでしょう。 私はいつもいわばその両者のなかにありますが、私の根っこは見ようとしなければ見えてきにくいものです。 それは、地面の底にあるようなものですから。 生きていて見えているのは地面のうえの自分だけですが、実は根っこがあって、ゆるぎない自分があるのです。