人のために何かをする

人のために何かをする、あるいは何かをしようとする、あるいは何かをしたいという人がたくさんいます。

しかし、本当は、自分のためなのです。

ですから、人のためにと始めた人は、それを続けるうちに、それが自分のためであることを知ることになります。

人のために何かを始めるというのは、入り口のようなものですから、それを間違った道に入ったとはいえません。

しかし、彷徨いを長く続ける人は間違った道を歩いているといえるかもしれません。

人によっては、その彷徨いをずっと続けることもあるし、はやくに抜け出すこともあるでしょう。また、人によってはその道を歩むのを断念することもあるでしょう。

人のためにと扉を開けた人のなかには、やがて次の扉に行き着く人もいるでしょう。
その扉を開けるというのは、自分がその行為を自分のためにやるのだ、と知ることです。

自分のためにやるのだと、人のために何かを始めた人は、人のためだという人よりも先んじていますが、この人たちだって、後戻りをしたり、その道を歩くのを断念する人もいます。
さまざまに彷徨います。
しかし、その道を歩み続けた人のなかに、やがて次の扉に行き着く人たちがいます。

その新しい扉を開けた人は、自分のやることが、自分のためでもあるし、人のためでもあると知るようになります。

しかし、それでもさらに向こうの、次の扉に行きつく人がいるように思えます。

それは、自分のためでもないし人のためでもないとするものです。

その先にも扉があるようにも思いますが、それはわかりません。