私と自己実現と生あるいは死

「私」として生きる。

それは、どの人にとっても、

それを自覚しようがしまいが、

生きている限りついてまわる課題のようなものなのだと思います。

「私が私として生きる」という課題は、自分自身の固有ななにものかをその生のなかに創り出して、生きなければならない、あるいは死んでいかなければならない、とでも言えるのかもしれません。


「他人が発展させつつある道筋を盗み見するのは無用なことだ。それは、自己実現の仕事は各人にとって独自のものであるからである。人間の問題の多くは似通ったものであるが、けっして同一ではない。すべての松の木は非常によく似ている。・・・しかし、正確には、どのひとつもまったく他と同じではない。このような類似と差異の要素のために、自己実現の無限の多様性を要約することは困難である。実際、各人は何か他人と異なったもの、つまり自分自身の固有な何ものかを成しとげなければならないのである。」(M.L.フォン・フランツ)(ユングほか『人間と象徴(下)』)

天命を知るというのも、こういうことかもしれません。