生の管理を求めてはいけない

大木は、日光と雨露のめぐみを受けてますます繁り栄え、小木は大木におおわれてますますしぼみ衰える。

それが自然の勢いである。

ところが、人工的な植林はそろってまっすぐに伸びること、あたかも訓練された兵隊のようなものである。

それは、植林し管理する人があってはじめてできることであって、天然にはできない。
森田正馬『生の欲望』より)


我々は、一つ一つの木である。

それは、自然な生を生きている。

大木に育つものもあれば、小木として生きるものもある。それが自然な姿である。


我々が生きている社会は、謂わば森である。

しかし、それは、謂わば人工的なものである。

管理がゆきとどけば、あまりに小木のままで枯死するものは少なくなるが、大木に育つものも少なくなる。みなが、ほどほどの中木になってしまったりする。

しかし、生のエネルギーの自然な発露は、そのようなことを許さないだろう。