人生の歩み方にもいろいろあって

・・・いまこそ言はう

人生はのろさにあれ

のろのろと蝸牛(ででむし)のやうであれ

・・・

一生に二どと通らぬみちなのだからつつしんで

自分は行かうと思ふと

山村暮鳥「自分はいまこそ言はう」より)


この詩は、以前にも載せたかもしれない。


かつて自身は、まるで牛のようだと思っていたのだ。

それは、人生の歩みが、人と比べていつも遅れているように思えていたからだ。

しかし、その歩み方に、満足とまでは言わないが、それが自分の生き方だと思っていた。

やがて、いつのまにか、ざわざわとした流れの中に身を置くようになり、

気がつけば足元をすくわれ、

わが身を流してしまっていたのだ。

ようやく浅瀬に立ったとき、

今一度牛のような歩みをしたいと、そう思ったのだ。

浅瀬でなく、もう少し速い流れのなかにあっても、

流れに抗する足をもって、

牛のように歩みたいと、そう思ったのだ。

それが、私の、私らしい歩み方なのだから。