信じられないものを信じようとする

それでもまだ信じていた。
戦いが終わったあとも。
役所を
公団を
銀行を
私たちの国を。

あくどい家主でも
高利貸でも
詐欺師でも
ない。
おおやけ
というひとつの人格を。

「信じていました」
とひとこといって
立ちあがる。

もういいのです、
私がおろかだったのですから。
石垣りん『女』)

関係世界のなかで、信じられるものはあるでしょうか。
ないのだと思います。
あるのは、信じたいという気持ち。

生きている限り、信じたい気持ちがいつもあって、でも、信じられるものは実際にはなくて・・・。

そういう関係世界を生きていくには、どうすればよいでしょうか。

いつも、ひとつひとつの、全部を信じないことかもしれませんね。
あるいは、
「すべては信じられないのだ」ということをいつも忘れないでいて、それでいて、「それでも私は信じたいのだ」ということを忘れないでいることかもしれません。でも、これはちょっと難しいでしょうね。