個人的な生き方

人に惑わされないようにするというのは大切なことです。

諸君、まともな見地を得ようと思うならば、人に惑わされてはならぬ。内においても、外においても、逢ったものはすぐ殺せ。仏に逢えば仏を殺し、祖師に逢えば祖師を殺し、羅漢に逢えば羅漢を殺し、父母に逢えば父母を殺し、親類に逢えば親類を殺し、そうして始めて解脱することができ、何者にも束縛されず、自在に突き抜けた生き方ができるのだ。

道流、你欲得如法見解、但莫受人感。向裏向外、逢著便殺。逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母、逢親眷殺親眷、始得解脱、不興物拘、透脱自在。(文中に、旧字体になっていないものがあります。)
(入矢義高訳注 『臨済録岩波文庫


でも、上記の臨済録に言うように熱心にやろうとするなら、きわめて個人主義を貫かなければならないでしょう。自己を貫くとはそういうものだと思います。
臨済録は、覚者となろうとする者に対して言っています。これをするということが如何に個人主義を貫くことかがよくわかります。周りの者には、さぞかし不快な人物に映ることでしょう。

自身の生き方として、自分を何よりも大切にする生き方をしようとするなら、社会的な人間関係を半分以上、絶つ必要があるでしょう。これをするにも、それ相応の覚悟が必要です。社会的に失うものも多いでしょう。
それでも、社会的に多くを失ってもよい位置に生きている人は、やりやすいかもしれません。

でも、普通は、なかなか難しいことです。

まあ、日常の普通の生活をするなかでは、

人間関係をほどほどにし、あまり人に惑わされず、自分を信じてやるということくらいでしょうか。