子を育てる親

子供を育てる親というものはうまくできていると思ったときがある。

育児というのは、なかなか大変なもので、喜びもあれば、苦難もある。

育児の苦難は、第一子の場合には特にそうなのだが、次から次と初めての経験をするのだから、その苦難というのも時に生易しいものでないものとなる。

子供を持つまでの人生では、自分がそのような動きをするとは想像もしないような動きを子供のために必要としたり、そして、実際にそう動いたりと、なかなか大変である。

子供が高熱を出す。子供が怪我をする。家族内に思いもしない災難が降りかかる。でも、育児はそのまま継続しなければならない・・・、などなど、まあ、けっこう大変なのである。
おまけに、近くに夫婦の親たちがいないとか、さらには知り合いらしい知り合いもいないなどの場合は、なおさらそうである。

しかし、おもしろいことに、そうしたときの苦しさは時が過ぎると消えていく。そして、日々新しい子育ての日が続くのだ。

もし、折々のしんどさが重く心に残り続けたらどうだろう。

とても、子育てなどやってられず、逃げ出すに違いない。

「ああ、しんどいことがあっても、忘れていくんだなあ。あの時はあんなにしんどかったのに、でも、忘れてしまう。だから、子育てができるんだなあ。」
などと思ったものだ。

子を育てる親の心具合というのは、なかなかよくできているとつくづく思う。
(なぜ、このようなことが起こるのかというと、子供が親に与えてくれるもの(喜びや幸福感)があって、苦しさが解消されていくのかもしれない。)

こうしたことは育児を経験したどの親にも言えることなのかどうかはわからないが、おそらく、往々にしてあることなのだろうと思っている。
(こういうのも、育児から学ぶ貴重な人生の経験なんだろうな。)