落ち込んだときの対処法

 自分がいかに情けない状態にあるかと落ち込んでいるときには、どんな対処法があるのだろうか。
 経験から、思いつくうちの一つを書いておこうと思う。

 それは、自分よりもっとひどい状態の人だっているじゃないか、と考えることだ。

 これは、人の不幸を利用して、自分に元気を取り戻しているとも言える。しかし、よいではないですか。その人を傷つけたり、その人の元気をさらに奪ったりしているのではないのだから。

 そんな対処法は、人を見下して自分を助ける方法だと考えるのは、(自分の中で自然に出てきている)対処しようとする心の働きに、意図的にブレーキをかけているようなものだ。良心や道徳心が強い人の場合には、そういうことが起こってくる。しかし、自分の元気を取り戻せないような、いわば非常時には、そんな良心はどこかへ追いやるべきだ。追いやることさえできないような、まことにりっぱな人の場合には、ひとまずどこかにしまっておく程度に考えるとよいだろう。人間は神のように完全ではないのだから、あまり立派なものを自分に要求するのは、自分がかわいそうというものだ。

 そういうわけで、落ち込んでいるときには、もっとあがいている人や不幸だと思える人をいろいろ思い起こしてみるとよい。もっと積極的には、どんどんそういう人を探してみるのもいいだろう。
 人間とはいかに身勝手な存在か! そう、それでよいのだ。事実、けっこうそうなのだから。

 たとえば、いやな事件が多くて、殺人事件や事故に巻き込まれて身内を失った人が自分の思いを語ったりするのを聞いたりする。これを少し気をつけて聞いていると、ずいぶん身勝手に聞こえてくる内容もある。たとえば、「なぜうちの人がこんな目にあわなければならないのか」といったような表現だ。これは、少し考えてみると、「うちの人でなく、なぜほかの人でなかったのか」と聞こえるものだ。これでは自分(たち)さえよければいいということにもなる。実際、そういう心理が働いているのだ。しかし、だからといって、その心は責められるべきだろうか。私たちの心の中で自然にわき起こってくる気持ちは、自然なままに受け止めるがよいだろう。