支えてくれる人

動物はそういうことがないのだろうが、人間には心の支えになる存在が必要だ。

友人である場合もあれば、父親であったり、母親であったりもする。
また、彼であったり、彼女であったりもする。子供である場合もある。
神様であったり、仏様であったりすることもある。

人は、支えてくれるもの無しで生きるのはたいへんだ!

幼いときはおぼろげだが、思春期や青年期くらいからは、支えとなるものがいなければそれを捜し求めたりもする。

必死で探していると、往々にしてとんでもない人を支えにしてしまうこともある。
このような場合には、つらい人生の道へと踏み込むことにもなる。
あまり人生の早い段階で親が支え手にならなくなってしまった人のなかには、こういうケースが多い。

年をとると、思い出の人が支え手になることも出てくる。
亡くなった妻や夫である場合もある。
もちろん若くして親と死に別れた人もそうだ。亡くなった父親や母親を支え手にしている人もいる。

これらは生きる支えの存在という話だ。

しかし、亡くなった存在や、神様や仏様とあまり親(ちか)しくなりすぎると、ちょっと危ないことにもなる。

それは、この世でない、あの世のものと親しくなるということだからだ。
人は、あまりに死に親しみをもちすぎてもいけない。そういう人は、現実世界でうまくやれなくなってしまう。自分に早く死を引き寄せることにもなる。

もっとも、人生の終焉にある者にとっては、死への親しみは重要だ。
それは、安らかな眠りへの準備となるからだ。

それぞれの人生の時期に、よい支え手がもてることは幸せだ。
そのためには、よい支え手になる存在を見出すことだ、
そして、よい支え手となる者を大切にして、生きることだ。