人の可能性と生き方

人間は、可能性を秘めた存在だ、とはよく言われる言葉です。

しかし、その可能性を、人はどれくらい開花させて、人生を生きるのでしょうか。

人には、それぞれの生き方がありますが、

もし、人が、

「私」は可能性がある者である、と思うことができるなら、

その人は、自ら、エネルギーの引き出しを始めることができるのだろうと思います。

人が他者(ひと)に対して、そのような思いでかかわることができるなら、

その人は、人を育てることになるのでしょう。

そして、もし、

多くの互いの人たちがそれをすることができるなら、その人たちは、人間的に優れた社会を育てることになるのかもしれません。

松下幸之助さんは、次のように言います。

私は、人間というものは、たとえていえば、ダイヤモンドの原石のような性質をもっていると思うのです。すなわち、ダイヤモンドの原石は、もともと美しく輝く本質をもっているのですが、磨かなければ光り輝くことはありません。まず、人間が、その石は磨けば光るという本質に気づき、一生懸命に磨きあげていく。そうしてこそ、はじめて美しいダイヤモンドの輝きを手に入れることができるのです。
 お互い人間も、このダイヤモンドの原石のように、見た目には光り輝くものかどうかわからない場合もあるけれど、磨けば必ず光る本質をそれぞれにもっている。つまり、各人それぞれにさまざまな知恵や力など限りない可能性を秘めている。そのことにお互いが気づいて、個々に、あるいは協力してその可能性を磨いていくならば、人間本来のもつ特質、よさが光り輝くようになってきます。そこに世の中の繁栄も、平和も、人間の幸福も実現されてくると思うのです。
松下幸之助『人生心得帖』より)