賢ぶる人たちと

「痴を仮るも、癲せず(仮痴不癲)」(『三十六計』より「第二十七計」)という言葉がある。

賢ぶろうにもそれを持ち合わせぬ者が、己がおろかさを曝け出して金を稼ぐというのも情けないが、

賢ぶる者が多いところでは、少しばかり馬鹿になっているくらいの方が、わが身を汚さずにすむかもしれない。

もっとも、「仮痴不癲」は敵の油断を誘う策の一つである。

この策を攻め手と考えるかもしれないが、攻め手は守り手でもあることを知らねばならない。

守りは、攻めるための力の温存でもあるのだ。