確かなものを得たい?

生きていることがいつもおぼろげだというのは、やむをえないことのように思う。

だから、人は、いつも確かなものを求めようとする。

宗教も、そうやって、人類が生み出したものだろう。

宗教を信仰する人たちも、確かなものを求めて、また、確かなものとして、宗教を尊び、それを信じ、安心を得る。

確かと思えるものは、しかし、

手にしたと思えば、また遠ざかっていく。

何ゆえに、いつも、そうやってもどかしいことを繰り返さねばならないのか。

それは、

「確か」と思えるものの不確かさからくるのではない。

それは、

人の、「私」自身というものの不確かさ故に、起こってくるものなのだ。

そして、

私が、私をもち、その私が私にある限り、私はその作業を続けざるをえないのだ。



不確かさのままで、安心していられるならよいのにね。