人間嫌い

中島義道さんによれば、

人間嫌いとは、つまるところ自分の信念と感受性に忠実に、世間と妥協しないでどこまで生き抜くことができるか、平たく言えば「わがまま」をどこまで貫けるか、実験している人種である。
(中島義道『人生に生きる価値はない』)

中島さんは、「正面切ってこれを実施すると、ほとんどの同胞から嫌われる。だから、自分も彼らを嫌い返すというわけで、必然的に『人間嫌い』になってしまうわけである。」(中島さんの場合は「言葉を無視しないこと」と説明していて「これ」とはそういうことを指している。この詳細に関心がある方は同書の83ページからを読んでください。)

自分を貫いて、周りの人から嫌われて、それで自分も嫌い返して、必然的に人間嫌いになるということなんですね。

周りの人から嫌われることを怖がり過ぎる人は、自分を貫くところがどんどん少なくなっていくのでしょうね。それでもって、あまり嫌われない。でも、ますます自分の思うようには生きられない。一方で、ますます周りの人の思うように生きる面が多くなってしまう(と感じる)。
自分を悪い人間に見られたくないと思っている人も、同じかもしれませんね。

さあ、どう生きるか!
どう生きるのが良いのでしょうか、なんて聞かないでくださいね(誰も聞かないでしょうけど)。

要は、自分がどう生きるか、としか言いようがない。人との関係の中で自分はどう生きるか、どういう選択をして生きるか、を生きていくしかありません。

自分と周りの人間との間をどうとるか、というのは要領という言い方もできますが、中島さんのやり方では、そんなものは関係ないでしょうね。
兎に角、自分を貫く。嫌われたら、嫌い返す。

私なんぞは、中島さんのような人を逞しいなぁ、と思いますね。
でも、職場の同僚や上司や部下にこういう人がいれば、厄介やなぁとか、面倒やなぁと思ってしまいます。
対人関係的には、また世間的には、協調性に欠けるということになるかもしれません。

でもまぁ、人間嫌い、大いに結構ではありませんか!
無理に好きになる必要もありません。

このブログにとっては、「どう自分らしく生きていくのか」は、大切なテーマの一つです。中島さんの生き方も一つの生き方として、大いに参考になります。

今後も少しずつですが、「生きる」ということについて、継続して書いて行きたいと思います。
ヤフーブログは終了になりますので、他へ移動するつもりです。
今後ともよろしくお願いします。